長女誕生

 長女を身ごもったのを知ったのは2000年の秋だったと思う。不正出血があり、婦人科系の病気を疑い産婦人科を受診したところ、思いもかけず妊娠していた。自分が母親になるなんて信じられなかった。でも嬉しかった。病院を出てすぐ彼に電話した。彼も驚いていた。それもそうであろう。初めて会ってからまだ半年も経っていないのにもうすぐお父さんになるのだ。喜んだのも束の間、「妊娠したことを母になんと告げよう。また私を傷つける言葉を言われるのではないか。」と家までの帰り道ブルーな気持ちになっていた。せっかく授かった命を汚されたくないと思った。そして最初に実の母ではなく、彼のお母さんに妊娠したことを伝え、彼のお母さんから私の母へ伝えてもらった。その事実を知らされた母が私に何と言ったか覚えていないのだが、最初に自分に言ってくれなかったことがショックだったようだ。

 それから結婚式までバタバタと忙しく、幸せな時間が過ぎていった。そして結婚式当日、式も披露宴も滞りなく終わり、翌日から新婚旅行。その前に婚姻届を出しに行ったのだが、そこですったもんだがあり(内容はもう覚えていない)、モヤモヤした気持ちで愛知県の日間賀島へ向かった。すると今度は名古屋駅で彼とはぐれ、携帯の充電も切れ、知らない土地で一人心細くなった私は大人気もなくその場で号泣した。しばらくして彼が私を見つけてくれ、予約していた列車にも間に合った。今思うと、これからの結婚生活は前途多難な道が待っているぞと知らせてくれているようにも思える。

 新婚旅行から戻り、教会の会長さんの所へお土産を持って挨拶に行ったのだが、新婚旅行へ行く前に挨拶がなかったと怒られ、晴れの新生活のスタートの日に泥水を引っかけられたような嫌~な気分になった。

 翌日から新婚などとは程遠い現実生活が待っていた。女性だから、新しい嫁だからという理由で毎日炊事場で食事の支度をしなければならなかった。その教会は常時40人前後の老若男女が共同生活をしている。男性は力仕事や高い所や外回り等、女性は炊事場と決められていた。私は昔から料理が上手い下手以前に、料理をすること自体が好きではないので、毎日炊事場へ出ることだけでもストレスなのに、とっても怖い先輩のご婦人さんが数名いて、毎日ビクビクしていた。

 神殿の参拝場も、左側が男性で畳何列目から縦4列、右側が女性で畳何列目から縦4列と決められていて、自分の自由に座ることもできない。

 会長さんは自分の気に障るとすぐに怒鳴り散らすため、みな会長さんに怒られないように気に障ることのないように教会内の空気がピーンと張りつめている。

 「いったいここは何だ?とても同じ教えを信仰しているとは思えない。」と私のストレスは日に日に大きくなっていった。

 お腹の子は病院ではいつも順調ですよと言われていたが、やはり標準より少し小さく生まれてきた。しかも陣痛が始まって35時間もかかって。「私は親不孝者だからきっと難産だろう。」と自分に自己暗示をかけていたのだ。案の定その通りになってしまった。苦しかったけれど「おぎゃー」との産声を聞いたときは感動して目頭が熱くなり、「元気な女の子ですよ。」とナースが顔を見せてくれた瞬間、彼の赤ちゃんの時の写真にそっくりで、思わず吹き出してしまった。「私のところへ生まれてきてくれてありがとう。」と心の底からそう思った。そして母もこんな大変な思いをして私を産んでくれたんだと感謝の気持ちを伝えたくてその日のうちに電話した。自分も出産してみて、やっと母に感謝できるようになった。